Dialogue and Dance

2019.2月よりスタートした、「Dialogue and Dance」は高松市にある本屋ルヌガンガさんで開催しています。カタタチサトのダンスは言葉での振付けがあることから、現在を生きている観客の皆さんから出てくる言葉をもとに、対話しながらその深部をおどりにおこしたいと思い企画しました。次回は6/28(金)19:30START!!ぜひご来場ください♡
ご予約 >> ルヌガンガ・イベントページ

第一回目の様子を、観客として立ち会って頂いたRuimamaさんの記録をお借りして写真も載せておきます。
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【言葉から紡がれるダンス「 Dialogue and Dance」 記録】
普段、私たちは目の前にあるものしか見ていない。それだけでも十分に騒がしく、言葉に溢れている。だから、言葉をやりすごし言葉から逃げる。
今日のカタタチサトの実験は、そんな私たちを逃がさない。観客席からでた言葉に質問をかさね、どうしてどうしてと迫る。

やがて、言葉は、なにげなく書いたときとは姿を変え、はっきりと形がみえ、温度をもつ。そこから、カタタチサトの身体が喋り出す。
実験は手探りゆえに、一番最初のメッセージに対しては、動きながら彼女も言葉を発したのだが、それは無意味なことに思えた。言葉は発せられた瞬間から拘束を感じ、イメージの解放の妨げになる。

二つ目からは身体だけが喋りだした。
おしゃべりな身体は、ひとの影に隠れ、消えたり出たり伸びたり縮んだりする。くにゃりと骨を失ったかと思えば、ゴツゴツと力こぶを見せ、およそヒトの身体とは思えない方向に歪む。

子どものことについて悩みを書いた会場からのメッセージに、カタタチサトが芸術士として通う幼稚園の4歳児とやっているのと同じ実験をみんなでしてみることになった。

目を閉じて、そこに見えるものを見る。闇は闇ではなく、次々と景色は変わり、田舎道になったり滑走路になったり、月の地平線になったりし、静寂と喧騒がめまぐるしく入れ換わる。
しかし、それは私の中だけで広がった風景で、ほかのひとには違うものが見えている。もしかしたら、誰にも言えない世界かもしれない。
闇は闇でしかないという観念から解放され、闇のおしゃべりを見聞きすると、何も悩むことなどないではないかと思う。

あっという間の90分。
最後に、言葉のあるポップスにのってカタタチサトが踊るという実験をしてみる。世の中はそちらのほうが多く、普段はは当たり前のように見ていたのに、わからない国の言葉でも言葉は言葉で、身体が発する解放された言葉とは違う。
とても騒がしく邪魔だ(笑)
カタタチサトの実験は始まったばかり。まだ実験室のテーブルの前にすわったところかもしれない。次回の実験が楽しみだ。